福岡県医師会災害医療救護チーム(JMAT )第8陣として福島県いわき市で活動してきました。日程は4月10日~4月13日の4日間です。

私は東北関東大震災の当日(3月11日)休暇で神奈川県におり、家族と共に江の島観光をしている時に地震に遭遇しました。今まで経験した中で一番長い地震。店を出たが隣は海、サイレンが鳴り響き、消防車が出動、大津波警報の中、直ぐに高台に避難しました。地震後は電車はすべてストップし、福岡に帰る時の羽田空港も計画停電中でした。そのような経緯もあり災害ボランティアとは無縁でしたが、医師会でJMAT募集しているということもあり、参加させていただくこととなりました。

元々福岡JMATは茨城県の北茨城、高荻が担当であったのですが、3月下旬の派遣では茨城県内での医療支援のニーズはなくなりました。福島県いわき市では医療支援が必要と考えられ、高萩を拠点とし、いわき市で活動することになったとのことです。福岡県医師会では少なくとも4月中はいわき医師会へ医療チームを派遣して活動することになっています。

大震災当日の江の島、大津波警報が出て一時騒然となるが津波の被害はありませんでした。

一日目(出発~いわき医師会到着)

聴診器、血圧計、体温計、パルオキシメーター、ペンライト、着替え、前情報では屋外での活動はなく、気候も寒くはないとのこと、又、水、医薬品、寝袋等の持ち込みの必要はないとのことでした。しかしながら4日分の水、食糧(カロリーメイト)、少量の医薬品などをバックに詰めて現地へ向かいました。朝8時福岡発の飛行機で羽田へ、その後はジャンボタクシーに乗り福島県いわき市まで移動です。福岡JMAT第8班として済生会福岡総合病院の佐々木医師、高田看護師、本庄看護師、中島事務と行動を共にしました。現地に到着後前グループとの申し送り、被災地視察、ミーティングなどの予定です。

グリーン交通のジャンボタクシーでいわき市へ。高速が地震の影響で一部陥没しているところがあり、快適な乗り心地というわけではありません。

いわき市の手前の関本インターチェンジのファミリーマート。食糧品、水、潤沢に揃っています。ただ電池は在庫がありませんでした。

無事いわき医師会に到着。医師会の駐車場もひび割れがあり、補修工事がしてありました。

医師会内にはマスク、輸液、点滴セット、手袋、消毒薬など色々な物資が既に補充されています。最終日には自分たちが持参した物資はすべて医師会へ寄付するような形をとることが多いようです。

薬も潤沢にそろっており、必要なものも直ぐに補充できます。カロリーメイト、市販薬なども置いてありました。薬剤師の方がチェックして避難所で直ぐに処方できるように周到な準備をされていたようです。

福岡JMAT7班の後藤医師、下津浦医師からの申し送り風景。基本的に各医師会で担当の避難所は同じ医師会のJMATに引き継ぐことになります。福岡県医師会担当は比較的市街地にある8か所の避難所の担当です。高血圧患者が多いこと、血圧測定だけの患者、糖尿病患者などについて申し送りが行われました。

被災地視察

いわき市は東北で仙台に次ぐ第二の都市であり、人口34万人、多くの工場があります。地震では原発などの被害ばかりメディアでは取り上げられているが、津波の被害も甚大で、小名浜港などは壊滅的な被害をうけています。地震によりいたるところで道路が陥没しており、応急的に補修工事がされています。3月下旬までは原発が安定しておらず、風評被害も加わり、支援物資を運ぶトラックなどがこないこと、またガソリン不足などで避難所にも支援物資が届かないない状態でしたが、現在(4月中旬)では物資は十分足りています。また現在は放射能0.5~0.3μSV/hrと健康に影響を与えるレベルではありません。

小名浜港視察:津波による被害の大きさを実感しました。言葉がありません。

医師会館2階会議室でミーティング。(医師、看護師、薬剤師、事務)各医師会が巡回した避難所での受診状況~病状、風邪、インフルエンザの流行に関して、衛生状態、人数の増減などについて発表されます。翌日の避難所の割り当てもこのミーティングで決定します。山梨、京都、富山、愛知のJMAT、呉羽総合病院などが参加。

やすらぎの丘温泉病院

茨城県高萩のやすらぎの丘温泉病院に到着。2階の病室一室を使用させていただいています。

夜遅く到着して事務の方に案内していただきました。2階の病室の一室を貸していただいています。床にマットレスが引いてあり寝心地は快適でした。

リンク

福岡JMAT ①:一日目 出発~引き継ぎ~被災地視察~ミーティング~宿泊地

福岡JMAT ②:二日目 8か所の避難所巡廻~ミーティング、地震遭遇~宿泊地

福岡JMAT ③:三日目 9か所の避難所巡廻、地震遭遇